
刈った草は袋にいれておゴミセンターにもっともいきます。一週間に二回も行きます
。おゴミセンターの人はみんな優しくて、ほんと、大好きなところなんです。

草や木の枝を入れる袋はいろいろですが、中には「すみません、この袋持って帰りたいんです」というと、中身だけ捨ててくれます。
もう、ボロッボロの袋でも持って帰るとか言って、笑いますけど、おじさんたちちゃんと持ってかえるようにしてくれます。
ふと、いつか大工さんが置いて行ったブルーシートをおゴミの袋にしようと思い付きました
。

使わない刺繍糸で手縫いです
。

大きなブルーシートなので小さい(といっても大きいですけど)袋が12枚も出来ます。まだもう1枚ブルーシートあります
。

これは、このままほかしちゃっていいんだけど、おゴミセンターのおじさんとうするかなあ
。「これは持ってかえるンか?」って訊いてくれるかも。



この頃、草刈り機で草を刈っています。ただ、お怪我してるので、斜面とかはできないので、平らなところだけですけど、
家も広いけど、店(集芸館 )も広い広いお庭です。平らなので刈ってます
。

足は(今のところは)大丈夫ですが、すぐバテます
w。すぐバテるけど、お掃除のお仕事も行っていないし、家のことももう気楽に考えています。草刈り三昧です


明日、大事なお客様が来られるので、それでマリコ・シャガールもですが、お庭もきれいにしています。
雨がたくさん降ると創作三昧、いろいろと片付いたら巡礼三昧。

20年前、鹿児島に引っ越す人のオーダーで写真のパネル(600?×900?×2枚)を作りました。オリジナルはスイスにあるマルク・シャガールのパネルで、高さは4メーターくらいあるものらしいですが、その頂上部分で、シャガール独特のペイントがあります。が、ペイントは出来ないので、ガラスだけでしました。
実は、20年前と言いますと、ステンドグラスを始めてまだ一年経っていませんでした。なぜしたかというと、大きな作品を作るチャンスだったからです
。引っ越しのお祝いもあったし、何よりそのチャンスをくれたので、材料費くらいしかもらわなかったけれど、それで良かったですね
。その数年後に、一流の建設会社と組み大きな作品をつくりました。


さて、マリコ・シャガール、鹿児島の空に輝いているはずですが、まだ見たことはなく、最初の頃はよく三田にきていたその持ち主も10年ほど前から音信不通になりました。こちらの仲間内で「鹿児島と連絡がとれない!」ということがあり、みんなでいろいろ手を尽くしましたが、結局そのままになってしまいました。
最近になって、アトリエを片付けていたら、マリコ・シャガールの写真が出て来て、新しくパネルにして壁に掛けました。6日前のことです。
すると
昨日、
鹿児島からショートメールが来ました。前に心配をかけて気になっていた、という短いメールでしたが、そんなことがあるんだなあと、ビックリです。
梅雨に入って、梅雨が開けたら、鹿児島に行こうと思っています。

ピンクと紫の腕輪は、4〜5年前になるでしょうか、母がデイサービスで作ったものです。もらっていたのですが、長く持っていました。母が作った、というだけの理由でした。
2年前に、大変に面倒な人に出くわした
ことで、腕数珠が要ると思ったので、母のビーズの腕輪をお数珠にしました。

最初は、いかにもオモチャにみえたものですが、なんと、オモチャの腕輪は見事にわたしを護るお数珠になりました。本当です
。そして、それは、一年半にもなりました。

一年半は意味があります。その日は昨年の12月6日でしたが、パパのお墓に参って帰り道に坂道で滑り足首の骨折というお怪我をしました。そのあとは、まあ、サバイバルなんですが
、近所の方たちに助けていただいて、救急車で病院にはこばれました。

救急治療室のストレッチャーの上で、ビーズのお数珠がないことに気がつきました。青い腕輪もオモチャのようなものではありますが、これは京都国立博物館の「天台宗のすべて」展で買ったものです。いつも2つの腕輪をつけているのですが、母のビーズのは、怪我をした時に落としたようで、私を護ってくれたのでした。
昨日、夕方、なんと、その腕輪が出てきました!
ふと目に入ったのです。

どこからかというと、なんと家の下の県道で、パパのお仕事場の窓の下あたりでした
。昨日の朝もその前の日も、もっと前から歩いていたから、気がつかないはずはなかったのに、昨日の夕方に突然現れたとしか思えません。本当に不思議なことでした。

ビーズはたくさんたくさん歩いてきたようにキズだらけでした(写真)。不思議なことですが、素晴らしいですね。
これは、パパでしょう
。パパしか出来ないです。パパが、私を護り、私の周りのことを調(ととの)えようとしてくれています
。

