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ひよこ色のエックス(X) 71

71   City の朝
 
車はいろいろと変わりました。パパのいる間はもちろんパパの名義なので、やはり、普通以上に"気をつける"ようにしましたね。
 
33年ほど前になりますが、友だちが、買い換えて乗らなくなった"ホンダCity"をくれました。友だちは作曲家で、「ホンダのエンジン音はミュージカルだ」と言っていました。パパにお伺いを立てると、ひと言「ただより高いものはないというけど」と言いました。私は、自分の名義の車が出来たのが嬉しかったです。
 
音楽家っていうのはなかなか気難しいですよ。美意識が高くて、それでかな。私と友だちとは、気は合うけどしょっちゅう喧嘩をしたものです。その友だちが「Cityは大好きだったから、二束三文で下取りに出すくらいならスタジオの外でオブジェにして眺めていようと思っていたけど」「あなただったら(Cityに)乗っていい」と言いました。
 
案の定、Cityも気難しい車でした(ミッションでしたけど)ね。でも、すぐに私とCityは気が合って、どこへでも一緒に行きました。ただ、主人が「何処で止まるかわからへんような車」と言った通り、よく途中で止まって、路肩で自動車屋さんを待ったことがありましたが、人見知りする車で、ある修理工さんが大好きでした。髪の毛がもじゃもじゃの人で、自動車屋さんに電話して「俺(社長)がいくわ」「あかんあかん、髪の毛もじゃもじゃの人でないとアカンと思うわ」みたいなやりとりをしたものです。笑いますけど。
 
そのCityが亡くなったのが28年前の今日、1月6日でした。高校の朝練に行く娘を送って駅に行く途中で、凍った路面でスリップして歩道に乗り上げ、ドライブシャフトが折れてしまいました。友だちが4年半、私が4年半17万?走りました。友だちは、よく「病気で死ぬのはいいよ。仕方がない。だけど、絶対に車では死んでくれるな」と言っていました。Cityは守ってくれたんだと思います。
 
いくらかかっても、直してまた乗りたかったけど、ただより高いものはないのもわかっていたから、これがお別れになりました。
 
スリップした時の時間が朝の5時45分くらい。どうしても思い出せないけれど、娘は誰かの車に拾ってもらったんじゃなかったかと思います。6時の電車が駅の方に滑るように走っていきました。
 
1月6日、年の初めの事故はショックでしたが、厄払いだったのかも知れないと思いました。ただ、不思議で仕方がないのが、その11日後の朝のその時刻(5時46分)に、あの阪神淡路大震災が起こったことです。あの時に、確かに(なにかの前触れかな?)という気はしました。私の霊感は、いつも後から、そうか、あれは、何かが知らせにきたのかみたいな、予知能力の一種なんでしょうけど、こんな感じです。
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