
60 ひよこ色のエックス
何度も言っていますが、23年前の股関節の手術の時、4週間の入院の半分の頃に、ドクターが「素晴らしい!明日から"なめらかな"リハビリにしよう
」と言われました。というのも、手術した翌日からかなりスパルタで、他の人が、「私、あなたの先生でなくて良かったワ・・」と言ったくらいでした。でも、とにかく、2週間で(多分)めざましく良くなったので、ドクターの「素晴らしい!」だった訳です
。


ところが、その"明日から"の朝になって、激痛で起きられなくなりました
。みーんなビックリしました。昨日、「素晴らしい!」って150点もらっていたのが、どういうこと
みたいな。検査に行っても痛くて検査台に上がれない。支えるのは若いインターンの先生がいちばんましでしたが、その先生でさえ「(ドクターの名前)の弟子っ
」って悪態つかれて、身体を少し動かすのも痛すぎて、彼は「僕に身体を預けて下さいっ」「もっと僕を好きになって下さいっ」と、トレンディドラマみたいだったけど、とにかく、何故かわからないけど、痛すぎました
。






リハビリ(※大学病院だったのでナースさんとインターンの先生が付いて)に行っても、痛がるので「リハビリが出来ない」と帰されました。3回か4回帰らされたと思います。それでも、退院の日は決まっていたので、そのうち、とにかくリハビリをしなくてはということになって。もう、リハビリっていうか、"痛いの痛いの飛んで行け"みたいな
。

セラバンドというゴムのリボン(ベルト)で両ひざを縛って、お膝の開脚をするトレーニングがありました。それが1〜2が黄色(ひよこ色)、赤になって5〜6で緑、それから青があり9〜10は黒でした。当時、同じ手術をした同じ条件で、70歳やそれ以上のお歳の人も、セラバンドは"黒"で、お杖もつかずにスタスタ歩いておられましたから、47歳のわたしが"ひよこ色"なんて、本当に不名誉なことでした。とにかく「阪大(病院)にこんな人いませんでした」って言われたくらいで、でもその通りだったと思います。
退院するときには、みんな"セラバンド"をもらって帰ることになっていました。だから、青とか黒とか
。私は、本当に、最後まで"ひよこ色"で、ギリギリ"赤(3)"かなぁってところでしたが、リハビリの先生が「おまけして"緑"にしようね
」。そんな、緑なんてもらったってどうするの?って感じでしたよ。案の定、家に帰っても痛くて痛くてリハビリも出来ず、緑のリボンなんてぽーーーンと放ってしまいました
。



その時は、このまま痛くて、歩けなくなるかも知れないと不安でした。
が、その後、奇跡のように痛みもなくなり歩けるようになるのです。そのエピソードはいっぱいありますが、またいつの日かにしましょう。ただ、その時のたとえば緑のリボンとか、私の"X(エックス)"だったんだなあ、と思い出しています。
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