
96 人生の御守り
お友だちからのお手紙に、手作りの"文香(ふみこう)"が入っていました
。仏様のお部屋に居るときのしいんとした静かな気持ちになれるようで落ち着きます。わたしの、新しい御守りです
。


このところ、ザワザワとしてきたと書いたように、帰る日常が近づいてきたからなんですね。実は、(スピ系な)私は、ある頃から"御守り"に頼らなくてもいいのではないかと思ったことがあります。実際、神社などで御守りをたくさん買っても、普段に粗末にしていてはかえってご利益はないようですよ。それよりも何よりも日頃の信心と心掛けなんです
。俗にいう「イワシの頭も信心から」とはまったくもってその通りなのです。

さて、去年の2月の終わり頃に人間関係である事件がありました。トンでもない人がいたものです。それで、火急に「これは御守りがいる!」となり、何か御守りになるものはないかと考えました。ちょうど、母がデイサービスで作った、ピンクと紫のビーズを通しただけの"腕輪"があったので、それを"腕数珠"にしました。今日日の子どもでもしないようなものでしたが、不思議なことに、すぐにそれは私を護ってくれる立派な腕数珠になりました。どんな時もしていました。その後、京都博物館に"天台宗のすべて展"を観に行った時に、記念に瑠璃色の腕数珠を買いましたので、2本の腕輪をしていました。
さて、今回、怪我をして、救急車で病院に来て救急治療を受け、入院のためのベッドに移る時に、母の作った(オモチャみたいな)ビーズの腕輪が無いのに気がつきました。コケてから病院までの間にどこかで落としたのでしょう。仏教徒は、数珠が切れたり落としたりした時には、身代わりになってくれたと解釈しますから、その通り、母の腕輪が身代わりになってくれたようです。
瑠璃色の腕数珠は家に持って帰ってもらい、しばらく御守りはなかったのですが、お正月に孫ちゃんたちが4人で御守りを買って届けてくれました。そして今回、香の御守りです。有り難いです。
リハビリは今日から3分の2荷重になりました。全部ではないけれど、3分の1の時とは違って、踏みしめる力がもう実際の生活とかわらない力強さです。やがて全荷重になり社会復帰します
。そうです。3分の1荷重の時の、あの足をそおっと踏み出した時の感激は忘れられません。「これが歩くということ
」あの感動こそがわたしのこれからの人生の"御守り"です。


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